2011年11月5日(土)学習院大学西5号館にて、加藤一二三九段講演会「将棋と人生」が、学習院大学輔仁会弁論部主催にて行われました。
加藤一二三九段が登場されました
「皆さま、これから話を始めたいと思います」
「わたくしは、プロ棋士になりましてからずいぶん経っていまして、我々の時代は名人戦というのが檜舞台でして、最大のタイトル戦で、今でこそ竜王戦がありまして名人戦と並びたつ最大のタイトル戦となっておりますが、名人戦は歴史的にも権威のあるタイトル戦です」
「振り返ってみますと、わたくしが活躍し始めて世間から注目されるようになったのはだいたい、19歳あたりからなんですね」
「段は四段から九段までありまして、九段が最高です」
「わたくし今、九段ですけれども、九段になったのが、昭和48年になったんですけれどもね」
「ある時、朝日新聞を読んでいたんですよ19歳の時に、そしたら全面にこう書いてあったんですね。
『将棋界に二上・加藤時代来たる』」
「全面ですよ!」
「全面! 朝日新聞の特集! わたくし目が覚めました!」
「えぇ~これ自分のことだ!」
「ということで、どうしてわたくしたちに一言もインタビューもないのにですね大特集を組まれたんだろうって」で、会場大爆笑!
「新聞記者っていうのは、いち早く社会の動きを正確にキャッチして一般の人に伝えなければならないので、朝日新聞の記者は、
『なかなか先見の明があってですね、すぐれてる!』と思ったんです」
「新聞記事の期待通り、わたくしはですね、ハタチの4月の時に名人戦に挑戦者になりました」
「昭和35年の対大山名人との七番勝負、4回勝てば名人なんですね。第1局は渋谷の羽沢ガーデンで行われましたけれども、1局目は勝ったんですね」
「その時ですね、なんとですね大変話題になったらしくて外国の通信社も取材に来ていたそうです。この名人戦の対局開始の瞬間も映像に残っていてNHKが時々使っております。
まだ、ハタチですから言うまでもなく頭が黒々していました」で、会場大爆笑!
「読売新聞社主催で竜王戦というのを催しておりまして、名人戦と並ぶトップのタイトル戦です。先日、竜王戦の第1局山形の天童でありまして、立会で行ってきました」
「終わってからですね、渡辺明竜王27歳ですね。打ち上げの時に話をしたんですよ。渡辺竜王がこう言うんですね
『加藤先生、昭和54年に中原さんと戦った将棋あるでしょ。加藤先生が中原さんの6五金に対して4五歩と突いた手があるんだけれども、あの4五歩というのは指せません。どうして指せたんですか?』って聞いてきたんです。昭和54年の将棋ですよ。で、渡辺明が指した将棋じゃない。人の将棋ですよね。わたくしと中原さんが指した将棋を話題にしたんですね」
「我を得たり! いい質問だ!」で、会場大爆笑!
「明、すぐれてる!」
「なかなか若いのによろしい。見込みがある!」
「『あの4五歩はですね、精神の高揚のなせる業だ』と、こう答えたんですね」
「わたくし、対局とか仕事とかで行っていないところは福井県だけです。あとは、全部対局とか解説や講演などで行っております。残念ながら福井県だけが残っておりまして、なんか福井県の方から依頼があればと思っております」
「精神の高揚っていうのは実に大事なんですよね。わたくしは幸運にも1300勝を達成できたのは、精神の高揚があってのことなんですよね」
「ちょっと話が飛びますけれども、以前ですね
わたくしが名人になったのが1982年の7月31日の夜9時1分になんですけれどもね」で、会場大爆笑!
「モーツァルトは620曲作曲してます。620曲全部が名曲です。わたくしはですね、1300勝で負けているのが1074局あります。それを足したのがわたくしの対局数です。勝ったのが1300勝でしょ。
1300勝のうち、わたくしが自分で言うのもちょっと変なところがあるかもしれませんけれども、掛け値なしに言えるのはですね、1300勝しているうちの少なくとも1000勝はですね、名局です!」
「えぇ、少なくとも名局です!」
「なんと言っても名局です!」で、会場大爆笑!
「モーツァルトのトルコ行進曲なんて良い曲ですよね。子供が聴いても大人が聴いてもだれが聴いても感動するんですね。ところが、将棋はですねわたくしが名局ですよって言ってもですね、その良さがわかるにはわたくしが解説するか、羽生さんクラスの人、あるいは渡辺明! 渡辺明言ってました。加藤先生の棋譜見てもわからないって言ってました」
「だから、ちょっとサービス精神出しまして、
『私がよく指した矢倉の将棋がわからない』って言うから、
『わたくしが書いた本があるから古本屋に行ったら?』って言ったら、
なんか行くような顔をしていました」で、会場大爆笑!
後編に続く
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