「豊島六段はまだ年齢がハタチなんですね。わたくしが最初、大山王将に挑戦したのは22歳でした。大山康晴名人に名人戦七番勝負で初めてぶつかりまして、それがハタチでした。その時は1勝4敗で負けました」
「22歳は王将戦挑戦者の最年少記録でしたけれども、豊島六段がハタチですからこれで新記録となったわけですね」
「豊島君の将棋を見るようになりましたら、バランスがいいし大局観も良くて、将棋のものの考え方が厚みのある考え方をしていると思います。それが特徴だと思います」
「久保王将はだいぶ前になりますけれども、羽生王座と沖縄で対局したときにですねわたくしが立会に行ったことがあるんですけれども、その当時から久保さんありという感じで、存在感があったわけですけれども、今では王将と棋王の2つのタイトルを持っていて、非常に強くなったし、ここのところも大変好調だということですよね」
「ちなみにわたくしは、自分はこういう将棋をやったことはないんですけども、ホントはこの将棋チャンスがあればやってみたいという強い関心を持っています」
あー、ぜひ見てみたいです。
あと、さっきからずっと棋譜用紙で隠れているお顔も見たいです。
おっと。棋譜用紙を横にずらしたのでお顔が見られました。
「わたくしも急戦が好きな棋士なんですよね。今日見られるような急戦は私の気風に合っていると思うので、研究をしてやってみたいと思っているんです」
先手が6八銀と指した局面
「ロッパチ銀!」
先手豊島将之六段が5八飛と指した局面
ここで後手久保利明王将の封じ手となりました。
「この局面で封じ手になりました。久保王将が封じ手をしたんですけれども、封じ手の時刻は6時3分。40手目で封じ手となりました」
「大体わたくしのタイトル戦の経験で、封じ手はだいたい平均で45手前後で封じているのが多かったです。ですからごく順当な進行だと思います」
「わたくしが、対大山の王将戦で1日目で70手進んだことがありました。これはまた異例中の異例でして、午後3時ごろに大山王将からこういう発言があったんですね。
『このままお互いが早くやっていると、2日制の将棋が1日目で終わってしまうかもしれないから、午後3時の段階で休憩にして、後の3時間は指さないことにしましょう』という提案があったんですね。わたくしは
『規定通り6時まで指したい』と言ったんですね。主催者の毎日新聞社の責任者は
『例え、2日制の王将戦であったとしても1日目で勝負がついても我が社は何ら差し支えがありません』という返事ででして、大山さんの提案が退けられまして、予定通り夕方の6時まで進行しました」
「大山王将が午後3時に休憩したいと言った理由は、このまま指していると1日目で終わってしまうかも知れないということで提案があったんですけれども、
実際に終わったのは2日目の夜の9時ごろでした。驚きでしょう? 大山さんの駆け引きなんですね。これをわたくしがその提案に乗っていたら、私のほうがツライ立場になっていたと思います」
「というのは、わたくしは知られているように長考派でしょ? 午後3時に休憩に入ってしまうと、6時までの3時間の空白はですね、それぞれが指してなくても90分消費時間に入っちゃうというルールなんですね。それでわたくしは2日目の夜9時ごろに勝ったんですけれども、残り時間はわずかでした」
「ですから、大山さんの提案に乗っていたら負けていたかもしれません。ここは真剣勝負の大切なところです」
「ちなみに、大山さんの提案にしたがって『いいですよ』と言った人もいるんです。私は断じてそういうことはしませんでした。で、ここで封じ手になりました」
part3に続く
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